「物が捨てられない」
片付けようとしてもなぜだか物が捨てられない人がたくさんいます。
どうしてただの物なのにそんなにも捨てられないのでしょう?
人が物を捨てられない理由は、その物に人の気持ちを込めてしまうからです。
物が捨てられない原因
物と人の出会いは同じです。
物には人の思いが宿ります。
特に日本人はそういった傾向が強いでしょう。
その物には、その物のストーリーがあるのです。
たとえば、幼い子供の作った折り紙。
まだ上手に折れないので、はっきり言って何を作ったのかわかりません。
他人から見たら、ゴミにしか見えません。
しかし、その子供に「はい、お母さんにあげる」なんて満面の笑みで言われて渡されたら?
もうその折り紙は、その子供のお母さんにとったらただの折り紙ではなくなります。
そこに子供の気持ちが込められ、その折り紙に子供の気持ちを込めて受け取ってしまったのです。
すると、簡単には捨てられなくなります。
間違っても、子供の目の前で即ゴミ箱に入れるなんてことはできないでしょう。
このように物には必ず人の気持ちが込められています。
気持ちが込められると物の名前が変わります。
ただの「折り紙」だったのが「子供が作ってプレゼントしてくれた折り紙」になります。
これが、多くの人が物が捨てられない原因です。
自分にとって何が必要か不必要かを見極める
「もう使わないけど、〇〇にもらった物だから捨てられない」
「はじめて○○したときに買った物だから捨てられない」
たとえ、その物との間に他人が介在しなくても、人は物を手にした瞬間からその物に気持ちを込めてしまう傾向があります。
例えば、送られてきたDM。
「何かいい情報が載っているかも?」
「何か役に立つことが書いてあるかも?」
そう思った瞬間から、そのDMは、ただの「DM」から「わたしに送られて来た役に立つかもしれないDM」になるのです。
そうなると、やっぱりすぐに捨てられなくなってしまいます。
言ってみればそれは、すれ違いざまに言葉を交わした他人です。
「感じのいい人だったな」
そんなふうに思ったら、あなたの記憶にとどまることになるでしょう。
記憶にとどめておくだけならいいのですが、それがいざものとなれば、どうでしょう?
すべてを保管しておくことは現実問題不可能です。
それならば、その物をよく見て自分にとって必要か不必要かを判断するしかありません。
「これは、自分にとってどのくらい大切だろうか?」
自問自答しながら片付けていくのです。
物には通り過ぎただけの他人がたくさんあります。
先程のDMも本来はすれ違っただけの他人です。
挨拶を交わして心地よかったのならその瞬間だけでいいのです。
「いい情報があるかもしれない」
そう思ったのなら、その場で確認しましょう。
「後からゆっくり見てみよう」
そう思ったところでじっくり見返す確率は低いです。
出会ったその時によく見てどうするのか決めましょう。
すれ違ったときに、もう一度この人と会いたいと思うかどうか?
そのものと「もう一度会いたい」と思えばきちんと保管しましょう。
しかし、すれ違っただけの感じのいい人で終わったのなら、さよならしましょう。
「いいDMだったな」そう思って手放すようにしましょう。
あとからじっくり見返したときも同じです。
また会いたい(必要)なら保管する。
もう会わなくてもいい(必要ない)なら処分する。
それだけのことです。
最初は判断することが難しいかもしれません。
だけど、ちょっとがんばって考えてみましょう。
物を捨てるには人は莫大なエネルギーを必要とする
人は何かを決断することに大きなエネルギーを使います。
それは物を捨てようとするときも同じです。
物が捨てられない人の中には、判断を先送りにしたいがために捨てられずにいる人もいます。
[aside type=”boader”]スティーブ・ジョブズはなぜいつも同じ服装なのか?
スティーブ・ジョブズは、いつも同じスタイルでした。
黒のタートルネックにジーンズ、足下はスニーカー。
なぜそうだったのかというと、毎日何を着るのかを考えることはエネルギー消費の無駄だからです。
だから何を着るのかを考える時間と労力を省くために、毎日同じ服装をしていたのです。
そして、スティーブ・ジョブズは、もっと他の大きなことを決断するためにエネルギーを使っていたのです。