ゆるミニマリスト主婦もりみ(@yurusimple_m)です。
人生何度目かの片付けをしています。
今回は特に自分個人のものは片付けるものがほとんどなく、主に家族共有のものを見なおしています。
片付けをするにあたって、改めてやましたひでこさんの本や音声を聞いていました。
そうしてわたし自身少し勘違いしていたことに気付きました。
片付けのほんとうの目的って何?
片付けというのは、ものと自分との関係を見つめ直し、そのものを取捨選択すること。
ものを断ち、捨て、離すということだと思っていました。
それが間違ってはいませんが、片付けは手段であって目的ではないということを改めて認識したのです。
片付けが目的ではないこと。
片付けすることで得られる人生が喜びや幸せに満ちていることが大切なのです。
やましたひでこさん流に言えば、「ごきげん」であることです。
だから、片付けは楽しいものであるはずです。
そして片付けしたその先の未来は楽しいものであるはずなんです。
片付けは、自分自身がごきげんな暮らしを送るための手段でしかないのです。
けして片付けが目的ではないのです。
なぜそのものを断つのか?
なぜそのものを捨てるのか?
なぜそのものを離すのか?
それはすべて自分の楽しい暮らしのため、幸せな人生のためなのです。
今回片付けをしながら改めてそのことを実感しました。
今までは、頭では理解していたつもりでも、実感が伴っていなかったのです。
だから、ものを邪魔に思い捨てたいという衝動に駆られていたのです。
だから、夫のものを邪険に扱っていたのです。
子供のおもちゃを必要ないと見下していたのです。
誰のための片付けか?
何のための片付けか?
すべては、自分自身と家族が快適に暮らすためです。
心地よければそれでいいんです。
物の多さではない。
けしてミニマリストになれというわけではないのです。
毎日が心地よくごきげんでいられることが大切なのです。
家事がはかどらないのは片付けできないから?
家事がはかどらないのは、物が多いからだと感じていました。
それは、ある意味正しく、ある意味間違っていました。
ものの多さを家族のせいにして、自分の身の回りに溢れたものをおろそかにしていました。
だから、家事がはかどらなくてイライラしていたことを家族のせいにしていました。
家族が片付けないから、家が片付かない。
家が片付かないから、家事がやりにくくてはかどらない。
そんな風に思っていました。
悪いのは夫であって子供。
自分は悪くない。
そんな風に傲慢な考えでいた自分がいました。
そんな気持ちで片付けしてもけして心地いい暮らしは訪れません。
自分にとって、家族にとって心地いい暮らしをしたい。
何が自分にとって心地よいのか?
何が家族にとって心地よいのか?
それを真剣に考えたら、本当の意味での片付けが見えてきました。
家族のものが多いから・家族が片付けしないから家事がはかどらないわけではありませんでした。
自分の思考が雑多だから家事がはかどらないのです。
自分の思考の中に物が溢れていたのです。
なぜ思考がごちゃごちゃだったのか?
よくよく考えたら、やはり自分自身よけいなものを抱えていたことに気付いたのです。
ですがそれは普段は見ないようにしていました。
現実を直視するのは辛いですからね。
ですが、今回改めて見つめ直して、ごちゃつきを片付けました。
処分したものの量としては多くありません。
ですが、それはわたしの思考を片付けるには十分な量でした。
部屋と思考の関係とは?
思考が片付くと余計なことがなくなります。
するとやるべき家事も簡単に目に入るようになりました。
そしてその家事も簡単にこなせるようになったのです。
今までは、面倒でできることならやりたくない。
できることなら目を瞑ってなかったことにしたい。
そんな家事ばかりでした。
例えば、面倒なアイロンがけや繕いものです。
見なかったこと、無かったことにして気付かないように部屋の隅に追いやっていました。
ですが、見なかったふりしていたものを片付けしたことで、それらの家事作業も目に入るようになったのです。
そして、なぜか面倒に思うことなくすんなりと取り組めるようになったのです。
思考のごちゃつきは部屋に現れます。
部屋をみればその人の頭の中がわかるともいいます。
今回改めて、部屋の隅に置かれていた必要のないものを片付けることで、自身の思考も片付きました。
すると、やるべきことが明白になりました。
だけではなくやるべきことを楽しめるようにもなりました。
今までは、嫌々やっていた家事をごきげんでこなせるようになったのです。
これも片付けの作用だと感じています。
片付けはごきげんであるための手段です。
だから、片付けをし続ける、やましたひでこさんはあんなにごきげんな笑顔をされるのですね。