本の断捨離をしました。
こんまり(近藤麻理恵)さんの著書「人生がときめく片づけの魔法」の中には、片付け(断捨離)をするといい順番というのがアイテムごとに書かれています。
片付けに取り組む順番の最初は、洋服の断捨離です。
その次に本や書類関係の断捨離をすると片付けやすいというのです。
それにならって、先日、洋服の断捨離をしました。

断捨離したのは、自分の洋服だけで夫や子供の服は断捨離していません。
片付け・断捨離の基本、他人のものは片付け・断捨離しない
自分の洋服が片付いたので、自分の本の断捨離を始めました。
本は、以前にも断捨離してずいぶんと少なくなったのですが、今回改めてチェックしてみました。
すると、以前は必要だったものでももう必要ないと思うようになっていました。
手持ちの本をすべて断捨離
本は以前にも大量に断捨離し、以後「買わない・持たない」ようにしていました。


しかし、どうしても必要で読みたい本だけは買ってもいいことをルールにしていました。
おかげで、手持ちの本は数冊しかありませんでした。
今回の断捨離時には3冊の本が手元にありました。
3冊とも電子書籍としては販売しておらず断捨離してしまうことを躊躇していました。
ですが、実際に手に取って読むことはあまりなく、気合を入れて読み始めても、もう一度読んだ本は読み込むまでには至りませんでした。
そこで、今回3冊あった本をすべて断捨離しました。
状態もよかったためメルカリに出品。
わりと短期間で売れてしまいました。
今、わたしの手元に所有している本は一冊もありません。
先日、図書館で借りてきた本が数冊置いてあるだけです。
それと、kindleで購入した電子書籍が1冊だけ。
自分にとって大切なものであった本をすべて断捨離してみたら?
本を完全に手放す前は、何か心に引っかかるものがなかったと言えば嘘になります。
断捨離に慣れてきたとはいえ、手放すときはいつも何かしら心に感じます。
それは、離れがたい気持ちかもしれないし、捨てることへの罪悪かもしれません。
断捨離の提唱者であるやましたひでこさんのおっしゃったように、物への執着でしょうか。
やましたひでこさんの著書はこちら( ↓ )
それでも、それらを心に刻み、痛みを感じながらも、そっと手放すと開放感にも似た気持ちで満たされます。
それが、物への執着から解き放たれた感覚というのでしょうか。
物から解放され、解き放たれ自由を手に入れたような感覚です。
そして、何とも言えない幸福感にも似た気持ちになります。
人はしがらみの中で生きています。
それは、どうしようもないことです。
そんな中、ほんの些細なものからでも解き放たれた時、ホッとした気持ちになります。
それが、わたしにとっての片付けであり断捨離です。
本はわたしにとって、なかなか手離しがたいものでした。
ですが、今回それを思いきって断捨離しました。
断捨離することで、本を所有する以上に大きなものを手に入れた気がします。
手離しがたい気持ちこそ断捨離すると得られるものとは?
今の世の中、読みたい本が読めなくなることはあまりありません。
本屋にも、図書館にも、電子書籍にも、たくさんの本が溢れています。
手離した本がまた読みたくなった時は、いつでも読むことができる環境があります。
そのものが嫌いにならない限り、一度手に入れたものを手放すのは難しいです。
手離しがたい気持ち、わかります。
だけど、もうときめきもなくなり、必要でもなくなったのなら・・・?
そのものを自分から解放してあげることも必要です。
それが、そばにいてくれたものに対しての礼儀でもあります。
もう好きじゃない。
だけど嫌いになったわけじゃない。
だらだらとつき合い続けることに何の意味があるのでしょう?
意味があるというのなら、それはあなたにとって必要だということです。
だけど、そぼにいる意味さえなくなったら?
きちんとお別れするのがそのものへの礼儀です。
たとえ、別れが来ても、また必要があれば必ず出会います。
なぜかそういうふうに出来てるんです。
必要のないものを手放せば、あなたにとって必要な物と出会うようになっているんです。
嘘みたいなはなしだけど本当です。
騙されたと思って、必要のないものを手離してみてください。