夫のCDを断捨離することにしました。
そのときに、CDは売らずに捨てるほうがいいと気づいたのですが・・・。
新たな気づきも得ることとなりました。
この記事では、夫のCDを断捨離して売ろうとしたけ捨てたほうがいいと気づいたが、思うようにことが運ばなかったときのことを書いています。
ただいま、人生で何度目かの断捨離・片付け中です。
「人生がときめく片づけの魔法/近藤麻理恵(著)」と『新・片づけ術「断捨離」/やましたひでこ(著)』を改めて読み、洋服、本、書類関係と片付け・断捨離してきました。
そして、CDの片付けに取り掛かろうとしました。
わたし個人のCDはすでに断捨離して一枚もありません。
どうしても大事な音楽だけは、パソコンに取り込んであります。
それさえも最近は聞かなくなったので、データを削除してしまってもいいのかもしれませんが・・・。
まあ、特に場所を取っていないので、処分していない状態です。
夫のCDを断捨離
さて、今回私が断捨離したいものは、夫のCDです。
片付けにはルールがあります。
片付け・断捨離のルール
- 他人の物には感知しない
- 他人の物を勝手に断捨離しない
このように自分以外の人のものをとやかく言ったり、勝手に片づけてはいけないというのです。
しかし、片付けや断捨離を勧めるは悪くないはずです。
というわけで、さりげなく夫にCDの断捨離を勧めました。
ところが、あっけなく玉砕。
「取って置いて」
ひと言そう言われたのです。
そう本人に言われたら取っておくしかありません。
わたしは、数十枚あるCDを一つの段ボールに入れて収納棚にしまい込みました。
実は、結婚するときに大量のCDを夫に処分させたわたしです。
残っているのは、そのときに捨てられなかったCDです。
だから、夫にとってはそれなりに大切なものかもしれません。
ですが、いっさい聞いていないのです。
夫のCDを段ボールに入れて収納棚にしまい込んでから、数日が経ちました。
たまたまその収納棚を夫が目にする機会がありました。
収納棚には、いくつもの段ボールが積まれていました。
夫「何が入っているの?」
私「全部あなたのものよ。本やCD」
夫「・・・・」
私「・・・・」
夫「処分しようか・・・」
私「!!」
夫「CD売っていいよ」
ついに!ついに!頑なに処分を拒んでいた夫が折れました。
結婚してから一度も聴かれたことのないCDです。
わたしは、常に邪魔に思っていたので、夫から処分していいと言われて喜びました。
さっそく「売っていいよ」と言われたので、即ゴミ袋では悪いのでメルカリに出品することにしました。
幸いにも、メルカリでは本などがバーコードを読み込むことで出品できるシステムが導入されています。
バーコードのあるものは読み取りながら出品していきました。
また、ジャンルが同じものについては、まとめ売りもしました。
CDは売らずに捨てる!
よほど価値のあるCD以外は、売らずに捨てたほうがいいと思いました。
メルカリの出品はやっぱり面倒です。
一応、出品したもののふと考えました。
送料や手数料を考えたら、中古のCDの利益はそれほどありません。
さらにCDというデリケートな品物です。
梱包にも気を使います。
出品するだけでも疲れ果てたのに、このあと、さらに梱包して発送までするのかと思うとイヤになってきました。
CD一枚の利益なんて微々たるものです。
わたしは、急にメルカリに出品することが面倒になってきました。
それほど売れ筋の品物でもありません。
データで音楽聴ける時代に誰が好き好んでCDを買うのでしょう?
よほど好きなアーティストでないかぎりCDなんていりません。
今後はCDを聴く機械さえなくなっていくでしょう。
「誰がこのCDを買うのか?」
「誰がこのCDを欲しいと思うのか?」
メルカリに出品したCDに「いいね」がつくことはなさそうです。
そう考えたら、馬鹿らしくなってきました。
売るのなんてやめてさっさとゴミ袋に入れよう。
わたしはそう思ったのです。
断捨離するCDが売れないとわかったら?
ここで問題が発生しました。
夫は「売っていい」とは言いましたが、「捨てていい」とは言いませんでした。
夫の考えはわかります。
売れるなら手放してもいいけど、ただ捨てるのはいやだということです。
着ない洋服を手放すときも売るならいいということだったので、きっと今回もそうでしょう。
わたしは迷いました。
「売れるまで出品し続けるのか?」
「売らずに処分して夫には売れたと嘘をつくのか?」
と。
「嘘ついていいんじゃない?」と悪魔のささやきが聞こえます。
しかし、それをやると夫婦の信頼を裏切ることになるのではないか?
嘘がバレたら夫もいい気はしないでしょう。
今後、夫の物を片づけるときに支障がでるかもしれません。
夫に黙って、売らずに捨てたら、きっと夫に対して心が痛む気がする。
そう思ったわたしは、正直に夫に伝えることにしました。
CDが売れるなら手放すけど売れないなら捨てない夫
わたし「CD売れそうにないよ」
夫「そうなの?」
わたし「いまどきCD買う人なんてそういないよ。よほどそのアーティストが好きじゃなきゃね」
夫「そうかあ・・・」
わたし「捨てていい?」
夫「ダメ、売れないなら取って置いて」
わたし「・・・・」
やっぱりでした。
夫は売れるなら手放すけど、売れないなら捨てられないし手離せないのです。
でも、そのCDが聴かれることはない。
夫曰はく「子供たちが大きくなってから聴く」そうです。
聴くわけないとわたしは思っています。
そんな先のことわからないし、そのときになったら聴きたいCDを買ったらいいのに・・・。
それに、CDでわざわざ聴くとも思えません。
その音楽を聴きたいと思っても、必ずしもCDある必要はありません。
こんなふうに考えるわたしはいじわるなのでしょうか。
夫にとっては、売ってもいい=捨てていいではないのです。
何か惜しいと思う気持ちが働くのでしょう。
確かに、わたしもそう思っていたときがあるので気持ちはわかります。
ですが、そうなるときっといつまでたっても手放すことはできないでしょう。
「いつか」と「たら」は片付け・断捨離にはない
片付け・断捨離では「いつか」はないと言います。
また「たら」もありません。
「いつか使う。痩せたら着る。」
大抵、「いつか」は来ないし「たら」は実行されません。
その言葉は今目の前にある問題から逃れるために使う言葉です。
もし本当に使うなら「いつか」とは言いません。
はっきりとした「いつ」が言えるでしょう。
また、本当に実行するなら「たら」とも言いません。
「たら」には願望が込められているだけで、それを実現しようとする意志はないのです。
もし意思があるのなら「たら」とは言わないでしょう。
「来年のいついつには使うから取って置く」
「ダイエットして痩せるから着る」
そこに明確な意思が存在するならば、こういった言葉になるでしょう。
それならば、今すぐにそのものを捨てる必要はありません。
だって、使う未来が見えているんですから。
そのことを考えると、夫の言う「子供が大きくなってから」という言葉は、明確な意思の表れのようにも思えます。
確かに、今は子供が小さいから、ゆっくり音楽を聴くことができません。
音楽をかけても、子供のはしゃぐ声や子供が見ているテレビの音に邪魔されます。
家で音楽をかけるとけっこう響くので夜子供が寝静まってから音楽を聴くこともありません。
今は音楽を楽しむことは出来ない。
だけど、少し先の未来なら、夫の描いているように音楽を楽しむことができるのかもしれません。
夫は、そういった未来を楽しみに待ち望んでいるのかもしれません。
その感情は「今」必要かどうかを基準にしているわたしには理解しがたいです。
ですが、その夫の気持ちを尊重することにしました。
だって人の価値観はそれぞれですからね。
他人のものを片付け・断捨離しても意味がないのはなぜか?
人のものを勝手に片付け・断捨離してはいけない。
物に対する気持ちは人それぞれです。
ただのものだけど、その人にとっては過去の想いがつまっていたり、未来への夢や希望が込められているのかもしれない。
それはその人自身にしかわかりません。
他人がとやかく言うことではないのです。
だから片付け・断捨離は人のものに関知しないのです。
自分自身のものだけに徹するのです。
そのものと対峙しながら自分自身を見つめているのです。
そして、そのものとの関係をどうするのか決めていくのです。
片付け・断捨離が心の修行だと言われるのはそういった意味があるからでしょう。
だからこそ、他人のものをどれだけ片付け・断捨離しても意味がないのです。
闇雲に捨てるだけでも意味がないのです。
ただ捨てて部屋をすっきりさせても意味がないのです。
わたしは今回改めてそのことに気付きました。
夫のものは夫のものなんです。
わたしにはただの邪魔なゴミにしか見えなくても、夫には別のものに見えるのでしょう。
そう思ったら、はじめてそのゴミにしか見えなかったCDが別のものに見えました。
夫にとって大切なもの。
そう思えたのです。
子供が大きくなってから部屋でゆっくり音楽を楽しみたいという夫。
それは今を生きる希望でもあるかもしれません。
わたしはそんな夫の大切なものをゴミ同然に段ボールにしまい込んでいたのです。
そして、憎々し気に思っていたのです。
とても申し訳ないことをしたと気づきました。
今回のことで、わたしは、CDと大量の本を収納棚から取り出し、夫の部屋にある棚に並べました。
棚はそれほど大きいものではないので、ただ放り込んだだけです。
ですが、夫自身のものは夫の部屋に置くことにしました。
それを見て、夫自身が片付けたくなったら片付ければいいだけのことです。
わたしは、何も言わないことを改めて決意しました。
他人を変えられないように他人のものは片付け・断捨離できない
今回の片付け・断捨離で一番手放さなければならなかったのは、人のことをとやかく言うわたし自身の心でした。
他人を変えられないように他人のものは片付け・断捨離できないのです。
それを無理やりさせても意味がないのです。
家を自分だけの思い通りに仕上げたかった私の奢った考えこそ断捨離する必要がありました。
家族四人の家です。
それぞれが心地よいと思う暮らしはさまざまでしょう。
意見が一致することもあれば、異なることもあるでしょう。
そんなときは、家族だからこそ思いやりを忘れずに相手の意見を尊重することも大切だと感じました。
たかが物の片付けですが、なかなか奥が深いものですね。